度を超えた長時間労働や過酷なノルマを課し、落伍者に対しては、業務とは無関係な研修やパワハラ、セクハラなどで肉体と精神を追い詰め、戦略的に「自主退職」へと追い込む。
金融危機の影響で就職難が深刻化した2000年代後半から、こうした悪辣な企業が出現し始めた。
特に、新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使いつぶし、次々と離職に追い込む典型的ケースであり、比較的成長している大企業に多く現れるようになった。
このような企業を、ヤクザのフロント企業とは別に、「狭義なブラック企業」と呼んでいる。
その法的定義はないものの、前述のような「合法か否か」の境目をはるかに超えた、「劣悪な労働」「峻烈な選別」「非情な使い捨て」などが特徴である。
企業規模や知名度とは関係なく、誰でも知っている、テレビコマーシャルに常に露出している有名企業も、ブラック企業と言われているようだ。
連合(日本労働組合総連合会)が「ブラック企業に関する調査」(2014年11月)を実施した。
その結果、自社を「ブラック企業だと思う(どちらかと言えば…を含む)」と答えた割合が26.9%にも上った。実に4人に1人が自分の勤める会社を「ブラック企業」と捉えていたことになる。
ブラック企業経営者と呼ばれる者たちに共通していること、おおよそ次のようなことである。
皆、何事も自分に都合よく考える。物事を考える軸は、すべて〝自分〟である。事業を拡大したい。
従業員はあくまで労働力。人を雇いたい。でも、人件費は最小限に抑えたい。都合よく人を使う。
だけれども都合よく辞めさせる…。ブラック企業は、こんなタイプの経営者が多いようだ。
の創業者「本田宗一郎」が伝説の経営者と言われる訳という、有名な話がある。
本田宗一郎氏はある日、あっさりと代表の座を降りた。 その後、彼は全国行脚の旅に出る。 全国のホンダの営業所・工場を訪れ、社員一人一人に挨拶し、握手を交わしたいと言い出したのだ。 それが社長を辞める際の彼の唯一の願いだった。 飛行機、車、新幹線を乗り継いで、彼は全国どころか外国も含め、1年半ですべてを回りきった。 ある工場で宗一郎氏と握手する前に、急いで走り去ろうとするものがいた。 「どうした?」 そう呼び止めると、 「手が汚れているから」と油で真っ黒になった手を隠しながら、もぞもぞしている。 だが宗一郎は、「いいんだよ、それでいいんだ」と彼の真っ黒な手を握り締めた。 「働いている手じゃないか、立派な手だ。俺はこういう手が一番好きだ」 そういいながら涙ぐむ宗一郎氏と一緒に社員も涙を流した。 |
日本の戦後復興と、その後の成長を支え、牽引したのは、こんな経営者であったに違いない。
その元で働く従業員は皆、輝いていた。希望と目標を掲げ、経営者と同じ気概で頑張っていた。
今あらためて、「伝説の経営者」を求めている労働者が沢山いること、理解しなければならない。
2016年3月27日
カテゴリー:飯島賢二のコラム