「原因? 加齢ですね、痛み止めでも出しておきましょうか??」
アタマに来るが…医者からこう言われる歳になった。
いよいよ今年から「高齢者」の、仲間入りをする。
今まで「ちょい悪シニア」と自負してきたが、これからは「可愛いおじいちゃん」を目指すしかない。
僕くらいの年になると、なかなか人の話を聞かなくなる。
自身の永い経験から、自信に満ちている。
「自分の意見が正しい」と驕りが生ずる結果、人の話を聞かなくなる。
人の話を聞かなくなったら、成長が止まっている、つまり老化の始まりと考えるべきなのだ。
そんな人は、新しい知識を吸収することを拒み、それ以上に向上することもやめてしまっている人。
人の話を聞いているうちは、心が老いてしまうようなことはない。
これが「可愛いおじいちゃん」への第一歩だと思っている。
心の状態は、会話の中で、その人が「未来の話」をしているのか「過去の話」をしているのかで分かる。過去の話ばかりしている人は、すでに心が老けてしまっている人、つまり「老人の証」だ。
「オレが若いころは、もっとできた。昔は楽しかったな」と、昔話ばかり。
将来に対して、明るい希望を持っている人は、必ず、将来の話をするはず。
未来に対して明るい希望を持っているため、昔よりこれからのことに感心があるからだろう。
いつまでも心は若々しくいたいと願うならば、当然、過去の話はやめることだ。
これが「可愛いおじいちゃん」への第二の条件だと確信した。
高齢者で特に問題になるのは、知能、つまり記憶力の低下だ。
でも人の知能(記憶)は、実は2つに大別される。
それは流動性知能(記銘力、計算能力など)と結晶性知能(判断力、総合力)だ。
一般に流動性知能は30歳以降、ほぼ直線的に低下するが、結晶性知能は高齢になっても低下しないらしい。若い時には理解できなかったことが年をとって初めて理解できる、ということがこの好例だ。
年をとったら皆「ボケる」というのは大きな間違いで、老年期認知症の患者は65歳以上の高齢者の5〜6%にすぎないというデータがある。
高齢者でも結晶性知能にますます磨きがかかり、各分野でリーダーとして活躍している人が大勢いる。ただ、「可愛いおじいちゃん」を目指すには、自分の知識や知能を、無理やり相手に押し付けてはいけない、聞かれた時に、手短に的確にアドバイス…これが絶対的鉄則である。
そしてこんな例、電車の中でのシーン。
「おじいちゃんが、足が悪いみたいで、先に立ったおばあちゃんが、手を差し出して席から立たせてあげた。手握った時おじちゃんがボソっと『学生時代みたいだね』って、控え目に微笑んで…」
「可愛いおじいちゃん」は必ずこんなタイプだと思う。
それは微笑みが美しく、いつでもラヴリィーで、フレンドリィーなおじいちゃん。
今年からこんな、「可愛いおじいちゃん」になろうと、頑張ってみることにした。
2016年5月8日
カテゴリー:飯島賢二のコラム