先日ある機会があり、経験豊かな看護師さんの話を聴くことができた。
「看護師をしていた時、何度も何度も最後の、言葉を聞きました
私の義理の母はいつも臨終の立会いの時『ご苦労様でした』と一言。
実母は『また会いましょう』と一言。
私は父との最後に『またお父さんの娘にして下さい』と。
みんな ありがとうの言葉を伝えてますよ、きっときっと」
病院で人が亡くなった時、医者が「ご臨終です」と言うが、死んだ人はそれが聞こえてるらしい。
人は死ぬとき、聴覚が一番最後まで残っているそうである。
だから自分の親が死ぬときは、心拍停止音の後、まだ聞こえてる間に、
「ありがとう」を先に言うべきだ。
今までの感謝の気持ちを伝えることが、最後の親孝行だと思う…。
『最後の言葉』という実体験の話は、重く心に響いた。
その話を聞いてから、人間は亡くなる前に、意識がなくなったり昏睡になった時でも、恐らく耳だけは聞こえているのかもしれない。
救急救命士は、救急車に乗せられ昏睡状態の人に、根気よく話しかけたりすることを必ず要請する。これはやはり、意味のあることだし、ちゃーんと聞こえてる所以があるからだと思った。
先のベテラン看護師さん。
「私の妹の時もそうでした・・・・亡くなった後、妹は涙を一筋流したんですよ。
私達の声が聞こえたんだと思ってます。
私は大声で泣きました・・・」
親父が亡くなって30年近くが過ぎ去った。
今年、おふくろの三回忌を済ませた。
いずれも臨終に立ち会うことができた。
でも、
最期の言葉は、何も言えなかった。
もしまだ、両親が生きていれば、
こんなことをやっておけば良かった。
こんな言葉を言えば良かった。
でも、
思ったことできなかったし、最後の言葉は、何も言えなかった。
人が死ぬ時、聴覚が最後まで残っているどうかの、科学的論議は別として、最後に感謝の気持ちを伝えるチャンスがあるとしたら、素敵な時を共有できる。
それを言えなかった後悔は、いつまでも消え去ることはない。
が、「おやじ、すまん」「おふくろ、ゴメン」で過ごしてきたのも、まぁ、いいかな…と思っている。
だって、今でも家族だから。
2016年9月25日
カテゴリー:飯島賢二のコラム