イイケン先生の『恐縮ですが…一言コラム』
「作業」を一所懸命やっていると、「仕事」をやった気になるが、実は、「仕事」と「作業」は大きく違う。
「作業」とは、事前に定められた手続きとゴールに向けて行う活動のこと。
一方「仕事」は、その結果によって、誰かに価値を届けるための活動と言いたい。
「仕事」を実現するために「作業」をする必要が出てくるが、逆はない。
そして「仕事」は、価値を届ける相手がいて初めて、成立するものである。
上司や顧客に言われたことを、しっかりと間違いなく、しかも、言われた通りにこなすことは、ビジネス マンにとってとても大事なことであり、基本中の基本である。
しかしこれは、「仕事」とは言えず「作業」にすぎない。
最低限、「作業」をきっちりこなせることは大事なことだが、それだけでは、本当の意味で価値が生ま れているとは言えない。
少し理屈を整理してみる。
「作業」とは内部的なプロセスだから、内向きの観点でしか改善は出てこない。
「仕事」になると外向きの観点になる。
何故かと言えば、「仕事」の結果は、自分たち以外の誰かに影響を及ぼすものだからだ。
それが「付加的価値」である。
価値を出すためならば、様々な工夫をしなければいけないし、「仕事」で結果を出せるなら「作業」の内 容は問われないだろう。
たとえば、「作業」をずっーとやっていると、「仕事」をした気になる。
しかしその結果は、全く付加価値を産み出せていないのに、気が付くべきなのだ。
プロセスの一部だけを繰り返すだけならば、いずれコンピュータやロボットに置き換えられるだろうし、 そういう時代は既に来ている…そう、「作業」はいつしか「機械化できる」。
良い「仕事」をするためには、その背景や狙い、目的や理由を知っていなければ、自分たちで考えるこ とはできない。そもそも「作業」を減らすことで、本当の意味での生産性を高めることができる。
「仕事」にはそこまで求められる。
そうなってくると再現性がなくなり、誰がやっても同じという訳にはいかなくなる。
それはとても難しいことだが、だからこそ価値があるのである。
決められた正解のないことから、結果を出すことが「仕事」の本質だと思う。
仕事とは、事に仕えると書く。
自分の立場を守ろうとすればするほど、仕事の本質から離れる場合がある。
良く見かける縄張り意識、部署同士の足を引っ張り合い。
こんな事では、今の厳しいビジネス環境は乗り切れない。
仕事に打ち込み自己を忘れる事で、上司・同僚・部下・他部署・お客様からも協力が得られる。
これこそが、「仕事の極意」というべきものである。
2015年10月18日
カテゴリー:飯島賢二のコラム