第651回 「仕事」と「作業」

イイケン先生の『恐縮ですが…一言コラム』

 

「作業」を一所懸命やっていると、「仕事」をやった気になるが、実は、「仕事」と「作業」は大きく違う。
「作業」とは、事前に定められた手続きとゴールに向けて行う活動のこと。
一方「仕事」は、その結果によって、誰かに価値を届けるための活動と言いたい。
「仕事」を実現するために「作業」をする必要が出てくるが、逆はない。
そして「仕事」は、価値を届ける相手がいて初めて、成立するものである。

 

上司や顧客に言われたことを、しっかりと間違いなく、しかも、言われた通りにこなすことは、ビジネス マンにとってとても大事なことであり、基本中の基本である。
しかしこれは、「仕事」とは言えず「作業」にすぎない。
最低限、「作業」をきっちりこなせることは大事なことだが、それだけでは、本当の意味で価値が生ま れているとは言えない。

 

少し理屈を整理してみる。
「作業」とは内部的なプロセスだから、内向きの観点でしか改善は出てこない。
「仕事」になると外向きの観点になる。
何故かと言えば、「仕事」の結果は、自分たち以外の誰かに影響を及ぼすものだからだ。
それが「付加的価値」である。
価値を出すためならば、様々な工夫をしなければいけないし、「仕事」で結果を出せるなら「作業」の内 容は問われないだろう。
たとえば、「作業」をずっーとやっていると、「仕事」をした気になる。
しかしその結果は、全く付加価値を産み出せていないのに、気が付くべきなのだ。
プロセスの一部だけを繰り返すだけならば、いずれコンピュータやロボットに置き換えられるだろうし、 そういう時代は既に来ている…そう、「作業」はいつしか「機械化できる」。

 

良い「仕事」をするためには、その背景や狙い、目的や理由を知っていなければ、自分たちで考えるこ とはできない。そもそも「作業」を減らすことで、本当の意味での生産性を高めることができる。
「仕事」にはそこまで求められる。
そうなってくると再現性がなくなり、誰がやっても同じという訳にはいかなくなる。

 

それはとても難しいことだが、だからこそ価値があるのである。
決められた正解のないことから、結果を出すことが「仕事」の本質だと思う。
仕事とは、事に仕えると書く。
自分の立場を守ろうとすればするほど、仕事の本質から離れる場合がある。
良く見かける縄張り意識、部署同士の足を引っ張り合い。
こんな事では、今の厳しいビジネス環境は乗り切れない。
仕事に打ち込み自己を忘れる事で、上司・同僚・部下・他部署・お客様からも協力が得られる。
これこそが、「仕事の極意」というべきものである。

 

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2015年10月18日IKG(~飯島経営グループ)
カテゴリー:飯島賢二のコラム


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