第481回 初詣から思う

 正月ともなると初詣に出かける人でにぎわう。

 そんな中、正月に初詣に地元にあるお寺を訪ねたときの話だ。

 そのお寺はにある仏像は文殊様ということもあって、知恵文殊、つまり、地元ではこの時期学問の、受験の神様として人気なのだそうだ。

 そのため、正月ともなると、お賽銭の為に行列ができるほどだ。

 その織、お参りをおえて、横に抜けた時に、綺麗な晴着を着た受験生であろう年の2人がお参りしているところであったのだが、いきなり、彼女らは何臆することなく堂々と“二礼二拍手一礼”を行い、満足そうな顔で、おみくじの方へと行った。

 お寺で二礼二拍手一礼は違う、それは神社での参拝方法のしきたりで、お寺では音とを立てずにそっと合掌をするというのが正しい方法ではある。

 いやはやなんともと思ったのではあったが、ここでおもしろい光景を目にした。

 その女性2人の後ろに並んでいた人も、怪訝そうな顔をしていたのだが、二礼二拍手一礼をしたのである。

 そして、その後ろの人もである。

 なんとも不思議な光景ではあったのであるが、これは今の日本のおもしろい皮肉なのではないかと思った。

 前の人と違うことをしたらおかしいかもしれない、前へ習えの前例主義の皮肉に見えたのである。

 さて、そんな光景を目にしてから、それを自分のあるいは会社のことに落とし込み考えてみたい。

 一つは、確かに、前例があるということは、安心もするし、それが当たり前だと思ってしまう。

 しかし、その前例が上記の例のように間違っている場合もあるのである。

 しかし、前例があるという実績と事実は、その物自体が間違っていたかもしれないと疑いさえも起こさない例が多々あるのではないか。

 もうひとつ、本当に二礼二拍手一礼はお寺でやってはいけないのかという検証である。

 私たちは日々の生活の中で、当たり前だと思っている常識の中で生活している。

 お寺で二礼二拍手は行わないというのは通常の場合常識である。

 しかし、本当にその意味を理解している人はどれだけいるのだろうか。

 そして、もしかしたら、本当はお寺で二礼二拍手を行っても問題ないのかもしれないという可能性はないのだろうかということである。

 正月の初詣からなんとも考えさせられる出来事ではあるが、まずは前例主義に偏ってはいないだろうかということ、そして、その習慣は本当に正しいのかということ。

 その背反する2つのことを考えさせられた正月であった。