第380回 今だから考える『おもてなし』とは②

 これは会津のある旅館での、実際の話である。

 東京からのお客様の夕食時に、会津の名産「身欠きニシン」をお出しした。

 身欠きニシンとは、ニシンの干物のことで小骨の食感とほろ苦さが特徴である。

 が、何ともお客様に評判が悪い。

 旅行エージェントの添乗員から「女将、何とかしろ」と言われ、女将が一言挨拶することとなった。

 …「会津は昔から山間の貧しい土地です。身欠きニシンは、貴重な淡白源の保存食として、会津の家々で大切に作ってきた郷土食です。大事なお客様がみえた時だけお出しした、会津人の、精一杯のおもてなしの心です。どうか。ご賞味くださいませ」

 …「なるほど、食べてみるとおいしいよ」

 …一人、また一人とニシンに箸がつき初め、身欠きニシンは見事完食、翌朝の売店でも、お土産で売り切れたと言う落ちがついた。

 ここで注目すべきは、「身欠きニシン」の味ではない。

 もちろん、味もさることながらだが、完食されたり、売店で売切れたりした一番の原因は「心」である。

 女将をはじめ、その旅館が東京から来ていただいたお客様に対して、精一杯の真心をこめた一品、もちろん女将の挨拶も相まって、それがお客の心を打ったのだ。

 この心を打つおもてなしの心は実は昔から日本にあったものである。

 何年か前の公共広告機構のCMであったが、それは「おもいやり」や「こころづかい」と名前を変え目に見えるものとして存在していた。

 最近では、ホスピタリティと呼ばれたりもしている。

 このおもてなしは何から始まるのか。

 最近、無駄をなくすという号令の基、効率化が進めている企業は多い。

 もちろん大切なことではあるが、この無駄をなくすといった場面ではおもてなしの心は非常に見えづらく、一見するとはじかれてしまう対象になっている。

 しかし、すこし立ち止まって考えてみる。

 そして、大切なことは、相手の立場に立つこと、そして、相手が嫌悪感を持つようなことはしない、相手を喜ばせるためにはどのようにしたらいいかを考える。

 そこから始めることができるのである。

 現に、みんな自分の恋人や家族のためには、できていることだと思う。

 会津の旅館の「身欠きニシン」のような例はどこのホテル・旅館にも存在する。

 それを手間を惜しまず、提供する心、そんなおもてなしの心を見つけてみるのはいかがだろうか。