第434回 和食 『器』
落語に『時そば』という話がある。
簡単に言えば、蕎麦屋を褒め、気分良くさせて、いざお会計の時に時刻を聞いて1文ごまかすってことをやっている人がいて、それを見て、真似しようとした人が時刻を聞く時間を間違え余計に支払いをしてしまうという落語である。
その落語の中で蕎麦屋を褒めちぎるくだりがある。
気分良くさせるために、屋号、割りばし、竹輪、そばの細さ、出汁などありとあらゆるものを幇間のように褒めちぎるのであるが、器の話がある。
演者によって多少の違いはあるが、『いいどんぶり使ってるねぇ。物は器で食わすっていうからね。多少まずくったって器が良けりゃうまく感じるってやつだ』という台詞である。
今回は器、食器の話をしていきたい。
食の中には色合いというものがある。
洋食では、緑が足りないや話や、パプリカ等を使って色を鮮やかにする、皿の周りにもソースをひいて鮮やかにするなど様々な手法があるが、日本食にも同じようなものがある。
それは、『捨て色』という考え方である。
それは、主張をせず、周りを引き立たせる色のことである。
日本ではかべやふすまなどに多く見られる色であり、その色を使うことによりなんとも落ち着いた空間を演出できる。
さて、日本食の場合である。
上手にその料理を引き立たせることを考えた場合、器はやはり捨て色が良いと思われる。
しかし、最近ではせっかくの料理が器によって台無しになっている場合が多いように思われる。
よく目にするのが、例えばパステルカラーのカラフルな器。
この場合、カラフルな器にに合う料理もあるのであろうが、もともと色彩が薄い日本食にはどうもなじみが薄く、なんとなく食べる前から安っぽく映ってしまう。箸も同様である。
まさに『ものは器で食わせる』である。
以前食事は演出によって味が変わるというお話をした。
もちろん、日夜料理に一生懸命に取り組んでくださる調理部の方々の努力の上に成り立つ話なのだが、さらにということを追求した場合、季節感、郷土色、ストーリー、そして器と様々な要素がプラスアルファされて、旅館の食事という分野になるのではないだろうか。
精一杯のおもてなしとは、私個人の見解だが、いつまでも話せる、誰かに話したくなるような思い出を持って帰っていただくことだと考えている。
語り草になるような料理はその部分で大きな役割を占めるのではないだろうか。
最後に、ぜひ、自旅館・ホテルの食事をお客様と同じ目線で食べていただきたい。
それは試食という形ではなく、オペレーション、ストーリー、そして器も含めた形で。
何かそこに発見があるはずである。