第433回 和食 『旬』

 牡蠣はよく「R」がつかない月には食べるなという話を聞きます。

 これは元々欧米のことわざで、各月を英語表記にして「R」が付かない月、5月(May)から8月(August)までは牡蠣を食べないようにということだ。

 日本でも「花見を過ぎたら牡蠣を食うな」なんて言ったりもする。

 これは俗にこの時期に牡蠣は毒性があるからとも言われているが、実際はそうではない。

 牡蠣は雌雄同体の生物で、だいたい水温が上がる5月位より繁殖期へ突入し、牡蠣の中で雄と雌とに分離する。

 そのため、牡蠣自信が分裂と産卵のために多くのエネルギーを必要とすることより、身が細くなり水っぽく、また栄養価も下がってしまうのである。

 差し詰め正しくは、「R」が付かない月の牡蠣はおいしくないということが正解なのであろう。

 もちろん、輸送技術や保存技術の発達している今日においては牡蠣がおいしくない時期においても、地球の裏側よりおいしい牡蠣が届くので、1年を通しておいしい牡蠣を食べられるのだが、正しくは牡蠣は秋から春にかけて美味しい食材なのである。

 そして、繁殖期を迎える直前の3月、4月の牡蠣は栄養価も高く、また川からの栄養たっぷりの雪解け水をうけ、非常においしくなると言われている。

 このように、それぞれの食材にはおいしい時期があるのである。

 また、その時期には同じように収穫の最盛期を迎えるため、市場の価格も下がるのである。

 これが「旬の食材」である。

 この食材を使った食事こそ、その時期に味わえる最高のものであると言える。

 しかし、前述もしたが輸送や保存技術の発達のおかげで、現在では旬ではなくてもおいしい食材が手に入るようになっている。

 実にありがたく、なんとも贅沢な話なのだが、和これで本当にいいのだろうかと疑問を感じる。

 例えば魚などはその代表格である。

 養殖ができない魚に関しては、現在でも旬の時期じゃないと手に入らないことが多い。

 秋刀魚などはその代表と言える。

 ここで一つ考えてみたいのが、この先例えば技術等の発達によって梅雨や初夏の時期に秋刀魚が簡単に手に入るようになるとして、はたして生活に定着するであろうか。

 個人的な見解だが、私は秋まで秋刀魚を待とうと思う。

 その大きな理由は「歳時記」という考え方である。

 元々は俳句などのための季語の書物であるが、この歳時記の感覚こそ、四季がはっきりし、暑い時期と寒い時期がはっきり訪れる日本の生活のベースである。

 和食も同様である。

 やはり歳時記にのっとり、一番栄養価が高く、一番おいしく、そして原価から見ても一番安い時期、つまり旬の食材を使ったものこそ至高の和食なのでなないだろうか。

 和食ということをテーマに考える場合、前回の郷土色、そして今回の旬は必ず考えなければいけない最重要ポイントである。

第432回 和食 地域・郷土『食』

 タイムリーな話であるが、先日11月10日に愛知県豊川市において第8回B-1グランプリが行われ、2日間で60万人近くの人が来場した。

 グランプリは浪江町の浪江焼きそばが制した。

 まだ8年しか経過していないB-1グランプリだが、その波及効果は大きな力を持っており、一説には開催した場合の経済効果は40億から50億近くになるという。

 ではなぜこんなにも一気に人気を博したのだろうか。

 そこには食に対する『地域食』というものへの憧れがあるのではないだろうか。

 さて、前回より和食ということをテーマに挙げて考えているが、和食そして地域・郷土食と考えると、やはりそれを味わえるのが旅館ではないだろうか。

 地域にはそれぞれおもてなしのための最上の食事があるのである。

 そして、旅行に行く際にはそれを味わうことも旅行目的の大きな要因になっている。

 しかし、実際のところはどうであろうか。

 様々な旅館にお邪魔する際に食事の話は必ずあるが、物流などの発展によることも多きいいのだろうが、なぜこの場所でこの料理ということを多く目にする。

 代表的なもので言えば、収穫はしてないのに、または海すらない山の地方なのに、海の幸、あわびやカニ、まぐろといったものが提供されている場合がある。

 味に関しては千差万別ある。

 当然、いいものはやはり味も良い。

 しかし、ここに地域・郷土食は感じられない。

 それは、いくら美味しいものを提供したとしても、旅行全体の満足度として考えた場合にマイナスに作用してしまうのである。

 逆もまた同様であり、山陰地方の山間部の一部ではワニ肉料理が昔からある。

 ここで言われているワニとは、一般的な爬虫類のワニではなくサメのことである。

 では、なぜ海の無い山陰地方の山間部でサメが昔から食べられているのだろうか。

 それは、冷蔵技術の無い時代の話であり、サメの肉は非常にアンモニアが強く、通常の魚が3日程度しか持たないのに対しサメの肉は3週間程度持つと言われている。

 そのため、海の幸の届かない山陰地方においてもサメの肉は食べることができたのである。

 もちろんサメ自体の収穫量を考えると、毎日の食材というわけではなく、いわゆるハレの日の食材として提供されてきたのである。

 サメの肉はアンモニア臭が強いので独特の風味を持っており、好き嫌いは個人差がある食材であろう。

 また、風味を消すためにいろいろな調理方も必要になってくるのであろうと思う。

 しかし、ハレの日の貴重品を提供するという精一杯のおもてなしの心、これがなによりも嬉しく感じるのである。

 味ももちろんではあるが、地域の精一杯のおもてなし、これこそ、至上の食事ではないだろうか。

 食にはエピソードとストーリがあり、それを含め味わうことができる地域・郷土食。

 これが和食の原点でもあり、旅館の醍醐味の一つであると考えている。

第431回 世界遺産・和食

 世界遺産を認定する機関としておなじみのユネスコには通常世界遺産と呼ばれている歴史的遺産の世界文化遺産と世界自然遺産の他に、世界無形文化遺産というものもある。

 これは、2003年よりユネスコが認定しているもので、音楽や芸能、祭りなどの文化を保護する目的で認定されているものである。

 アジア地域ではこの無形文化遺産へのアプローチが積極的で、ここ日本でもすでに能や人形浄瑠璃、歌舞伎といったものが登録されており、中には、京都祇園祭の山鉾巡行や宮城の秋保の田植踊など地域に根付いた民俗芸能も登録されている。

 その中に『食』を扱っている項目もある。

 現在のところ、食として登録されている無形文化遺産は、『フランスの美食術』、『メキシコの伝統料理』、『トルコの伝統料理ケシケキ』ということになっている。

 現在、農林水産省を中心に和食をこの世界無形文化遺産へ登録しようとの動きが活発であり、見通しは概ね良好ということで、まもなく日本の和食文化が、世界の保護すべき貴重な文化和食として登録されようとしている。

 現に世界中の多くの場所で和食は好まれており、ニューヨークのマンハッタンでは日本食料理屋が数百軒、寿司などの一品でも日本料理を提供する店は1万軒を超えると言われており、我々日本人としては何とも嬉しいニュースである。

 しかし、一方でこの嬉しいニュースに警鐘を鳴らす声も聞こえる。

 それは、本来の日本料理、和食を我々日本人自体が分からなくなってきているのではないのかということである。

 11月1日は寿司の日ということで、昨年おもちゃメーカーバンダイがこどもたちに取った好きな寿司ネタのランキングによると、1位イクラ、2位マグロ、3位サーモンという結果であった。

 ここにもさまざまな意見がある。

 例えばイクラも人工のイクラが出まわっていたり、マグロもマグロと表記しながら赤マンボウを使っていたり、そもそもサーモンは日本食ではないなどである。

 先日起った食品偽装問題も含め、和食ということに関して触れていきたい。

 まず、和食の中で失われているもっともなことは、私は『季節感・地域色』だと感じている。

 豊かになるとともに、昔は一部の季節しか味わうことのできなかった食材が、物流や栽培方法の進化等によって一年を通じて、どこにいても味わえるようになった。

 しかし、食材には最もおいしい時期がある。

 当たり前の話だが、それは『旬』とよばれ、その旬を基本に献立を組み立てるのが和食の根底である。

 次回以降、少しこの世界は保護すべき文化遺産という和食の話をしていきたい。

第430回 安心・安全神話の危険

 先般、中国ビジネスに精通している方と話し合う機会があった。

 マスコミが報道する中国との険悪な状況は、どうも一部の特殊事情のようで、中国の富裕層の日本に対する投資欲は、まだまだ衰えていないようである。

 日本それとは桁違いな超リッチ層が今、猛烈に志向しているのは日本の特別養護やディサービス等の「老健施設」だそうだ。

 老い先長い自らの将来に対する不安、特に中国の環境汚染の現状や、水、食に対する安全性への不信感は、中国内に居る限り払拭できないこと良く知っている。

 中国国内を移動するよりはるかに近い日本は、世界一安全であり安心であることを一番良く知っているのである。

 老後や終の住まいを「日本ですごしたい」と考える中国人は年々増しているようである。

 それがビジネスとして投資の対象になるのであれば、馬鹿儲けせずとも、おのずから注目株であること自明の理であろう。

 インバウンドを考えるに、「おもてなし」と共に日本が世界に誇るべき最大のセールスポイントが「安心・安全」であることと考える。

 そんな信頼をぶち壊すべきニュースが今話題となっている。

 サービスの極致と言われ、多くのファンから尊敬の眼で慕われてきた某有名ホテルが、食品の表示偽装問題視されている。

 食の安心・安全を根底から覆す事案ではないかもしれないが、真偽のほどは時間を待つことになる。

 どちらにしろ、計り知れない失望と、絶大なる信頼を失墜したこと間違いない事実である。

 消費者、旅行者の食に対する信頼は、ホテル・旅館に対しては絶対的なものがある。

 益々そのニーズは徐々に期待度が高まり、付加価値を特段に要求するようになって来た。

 地域の特別な、あるいは新鮮な「味」との触れ合いは、旅の大きな楽しみになっている。

 各地のホテル・旅館で実施されてきた「地産地消」、「地酒の飲み比較」、そのために遠くまでわざわざ来て頂いたお客様がいる。

 その地産地消が嘘だったら…と考えるともう、「騙(だま)し」の世界かもしれない。

 これからの日本観光の主体になるべく「インバウンド」施策、東北の震災後何とか再スタートしたところである。

 原子力の放射能疑惑の安全性が、やっとどうにか理解されてきた矢先である。ラグビーのワールドカップ、2020年の東京オリンピック開催も正式決定され、明るい話題が目の前に存在する今、安心・安全なクール・ジャパンを世界に向けてアピールすべきこの時である。

 当該ホテルには、一刻も早い修復改善を、切に望むところである。

第429回 感動を演出する

 少し前になるが、ホスピタリティを実践するには宿泊客のことを理解し、そのためにコミュニケーションを取ることが重要であるということをこの場で述べた。

 今回はそれとは別の視点で、宿泊客にホスピタリティを実践するために、宿泊客に感動を味わっていただくためにという観点より少し触れていきたい。

 宿泊客に感動を味わっていただくためにということに基づいて考えた場合、一つのキーワードとなるのが『特別感』である。

 例えば、食事の際、元々飲み物付の料理コースと、後から『これは当館からのサービスになります、本日は当館を選んでいただきありがとうございます。』と一言添えて持っていくのでは、同じ飲み物をサービスするのにも宿泊客の受ける印象が違う。

 後者の方が自分だけという特別感があり、それがなんともうれしく感じるのである。

 つまり、あまり良い表現ではないかもしれないが『演出』によって宿泊客の受け取り方は変わってくるのである。

 大切なことは、その小さな特別感を味わえる演出を滞在中に何個できるかということではないだろうか。

 さて、その演出ということについて、最近クリスマスはなぜわくわくするのかという話を耳にした。

 確かに言われてみれば子供のころ、朝起きたときに枕元にあるプレゼントに何よりも胸ときめかせていた、それは誕生日プレゼントよりもである。

 その理由は何なのか。

 それは、枕元にあるクリスマスプレゼントには何をもらえるか分からない、いつもらえるのか分からないなどの不確定要素が多く、それがわくわくドキドキさせ、もらったときの感動を大きくするのではないか。

 それを踏まえて考えてみたい。

 宿泊客を集める、集客の観点から言えば、さまざまな魅力をアピールすることが必要不可欠である。

 それは、広告やホームページ、チラシ等を使い、持っている魅力を周知させ、認知させるという活動になる。

 だとするならば、それを見た上で選んでいる宿泊客は、すでにある程度当館の魅力を知った上で選んできているのである。

 そのため、クリスマスの例から考えるに、感動してもらうためには掲示しているもの以上、あるいは掲示してない特別感を与えることが、感動への近道ではないだろうか。

 そして、その小さな感動が10個、20個とちょっとずつ積み上げることが、ホスピタリティであり、選ばれるホテル・旅館へとなっていくのだと思う。